第1回 プロローグ

1995年、私はアメリカ、カリフォルニア工科大学で、ポスドクをしていました。大学の敷地中央には、モダンな中央図書館がありましたが、一方で、私の在籍していた地球惑星学科の古くからの図書室が、こぢんまりとながらも、歴史有る学科の建物の中にありました。私は、よく図書室へ行き、本をあさっていました。年季がかった古色ある壁や本棚。そこをうめる惑星科学の教科書、そしてそこにしかありえないと思えるようなNASAのレポートに、宝の山を見る思いでした。その日、私が探していたのは、何か月に関係する内容でした。

私は、秋になったら帰国し、(旧)宇宙開発事業団(NASDA「なすだ」はその略称。以下「事業団」)で、月探査計画の立ち上げに加わることになっていました。

「何か、月の研究で面白そうな課題はないか」

というのがその日、図書室を訪れた目的でした。そこで、たまたま手にとった本は、月基地に関わるものであり、ぺらぺらとめくった中に、その事はあったのです。

「Lava Tube」

日本語で言えば「溶岩チューブ」、溶岩洞穴、溶岩洞窟、溶岩トンネル…地下の空洞。その論文には、

「月でも溶岩チューブがあるだろう、そして、そこに入れば、大気の無い月面に降り注ぐ隕石や放射線、太陽光から、人や機械が守られる」

というようなことが書いてありました。

「へぇ。月の地下に空洞がありそうなんだ。なるほど、これは、別に空想のものでもなんでもないのか…」

少し、月というドライな対象に興味を覚えはじめた瞬間でもありました。今、どうしても、その本の名前が思い出せません。ただ、「Lava Tube」は月の基地建設のための最適な候補、、ということだけが記憶に残っています。