我々は、何故月を、そして火星を目指すのか(春山純一)

私達UZUME計画が目指すのは、月、火星、そしてその先の宙です。
私達は、UZUME計画で月や火星の縦孔・地下空洞を探査し、多くの科学的に興味あふれる月惑星科学の課題の解決を目指しつつ、究極的には、人類の月や火星での活動拠点の構築、そしてまた、火星での生命探査を目指しています。

ではなぜ、「月、火星での人類の月面活動拠点の構築」、そしてまた、「火星での生命探査」、「月惑星科学の課題の解決」を目標とするのでしょうか。ここで、私なりの考えを述べさせていただきたいと思います。

私達、日本は、2011年3月11日、未曾有の震災、津波、そして原発事故に見舞われました。1000年に一度の震災と言われました。しかし、1000年に一度といえども、起こるのものなのです。我々は、そんな自然の脅威、猛威を思い知らされました。大規模な隕石衝突もいつ起こるか、わかりません。科学の知識は、文明を滅ぼすような隕石衝突の確率がとても低いと、教えます。しかし、それでも、いつ何時、起こるか分からないのです。であれば、我々人類は、なにかしらその対策の準備をしておく必要があるのでは無いでしょうか?その準備の一つが、宇宙に活動拠点を構築すること、更に言うなら人類の生存の場を拡げること、だと思います。そこに、UZUME計画の重要な意義があると思います。

「世のため、人のために研究するな」と私は大学時代に多くの先生方に教わってきました。「世のため」「人のため」などという価値基準は、どんどん変わっていきます。そのような他人任せの価値基準のもとに研究などをしていたら、最先端の研究に突き進んでいく時に立ちはだかる大きな壁(これは研究者なら、必ず当たるもの)に行く手を阻まれた時、乗り越えることが難しい、ということなのだと思います。それより、本当に、心の底から自分が面白いこと、好きなことを、やるべき、、というのが大学での教えだったと思っています。その観点から、やや実利学的な分野で、「世のため」「人のため」を殊更強調し予算をとろうとすることには、私は抵抗感がありました。人々の危機意識をあおり、それでもって予算を取ろうとするならば、私は、侮蔑にも似た気持ちを覚えたことでしょう。
しかし、震災を経て、また歳を重ねて、私は、科学的研究成果を、世のため、人のため役立てる活動は、必要だと思うようになってきています。科学者も、自分が興味有ることとして行った研究のその成果が、「結果として」世のため、人のためになるならば、非常にうれしく思うことでしょうし、それは決してすべて否定することでもないと思います。震災前でしたら、隕石衝突の可能性をもって人類の宇宙進出を肯定しようなどとは、毛頭も思わなかったかと思います。しかし、破壊的な隕石衝突の可能性が0でない限り、我々は、その対策を少しでも始めることは必要なのだと思います。特に、一朝一夕で、地球への巨大隕石衝突対策などできるものではないと思います。更にまた、私達が予想できる、あるいは予想できないような地球環境の変化も、生じるかもしれません。地球が我々人類に、住み心地酔い環境を未来永劫提供してくれるという保証などされていないのです。
だからこそ、人類が宇宙へ活動拠点を拡げていくこと、その知識・技術と経験を深め、更に実際のインフラ(設備)を構築していくことは、人類にとって、本質的な課題なのではないでしょうか。また、宙へ出て初めて見えてくる地球のことも多くあるのは間違いないです。

1969年、人類は月にその一歩を記しました。しかし、1972年以降、人類が月へ訪れる事はありませんでした。それは何故か。いろいろな理由があるかと思います。しかし、その最たるものの一つとして、月の過酷な環境のことがあるかと思います。月は大気や磁場を持たないために、その表面では、数十億年前ほどではないにしても小さな隕石の直接爆撃を数多く受けており、また、温度は-150℃以下の極寒の14日間の夜と、100℃を超える灼熱の14日間の昼が交互に繰り返される、人類が活動するには厳しい環境です。そしてなにより、絶え間なく降り注ぐ放射線。時には一回の太陽表面爆発でも致死量に相当する放射線が月面に、もたらされることがあります。このような表面で人類活動領域を拡げるなど、当時の技術ではとても困難だったことでしょう。しかし、そのときから50年近くを経た今、大きく状況は変わってきました。技術は進歩し、知識は深まりました。そして何より、日本の月探査機SELENE(かぐや)が月の表面下に存在する巨大な地下空洞へ通じる縦孔の発見は、人類にとって、大きな飛躍のきっかけとなるはずです。

縦孔は、数10m規模のものは10近く見つかっていますが、SELENEが見つけた三つの縦孔は最大級のものであり、その底は地下空洞へ連なっていることも確実です。この三つの縦孔は、月面でも「オアシス」と思われるような所であり、将来、国家レベルの戦略的重要拠点などという見方で所有権争いが生じるかもしれません。しかし、考えても見て下さい。本格的に月へ人類が活動拠点を築こうとしているこの「現代」において、「国家」という概念のもとにその占有権を争うなど、人類の「退化」的思想・行為に他なりません。この縦孔の探査、地下空洞での基地建設は、人類の「進化」につながる事業として行われるべきなのです。
そこで、私は思うのです。だからこそ、日本が主導して探査を行うべきだ、と。日本は、古来から、「和」をもって尊しとなす国でした。日本こそは、世界の国々が「和」を築くのをとりまとめていくことをすべき、そしてできる国だと思います。もちろん、日本の探査機で、縦孔を人類史上初めて見つけたということもあります。しかし、それ以上に、日本が月の縦孔・地下空洞探査を負う理由、UZUME計画を実施する理由が、ここに、私にはあると思うのです。

次に、月の先にある火星探査で目標とする「生命探査」について、述べてみたいと思います。
火星は、大気があるといっても非常に薄く、その表面は、やはり隕石や放射線が降り注ぎます。特に(地球の)生命にとって致命的である紫外線が、火星の表面での生命の存在を難しくしていることは間違いないでしょう。その意味では、火星にも見つかっている縦孔、そしてそれに続く地下空洞こそは、生命が今でも存在している可能性が一番高い場所です。火星に生命探査をしに行くならば、火星の地下空洞が最も重要であることは疑いようがありません。
では、そもそも何故、地球外生命を探査するのでしょうか?これまで、私は、その意義について疑ったことはありませんでした。「知的生命体としての人類は、地球外に生命が存在するかどうかを知ることは、疑いなく最も『根源的な』要求だ、、」と。しかし、「根源的な要求」とはなんでしょう?本当に、誰もがその欲求を持つのでしょうか?地球のある植物の詳細を知ろうとする知的欲求と、どう差があるのでしょうか?私は、こんなこと考えたこともありませんでした。しかし先日、私が学生時代より尊敬してきた先生(科学分野の方です)に、UZUME計画の話をさせていただいたとき、「火星生命探査の重要性を説明してみろ」、と、問われて、十分に答えられなかったのです。そこで、もう一度、火星生命探査の意味を考えてみました。

もちろん、その答えの一つは、「なんだか、分からないけれど、興味がある。」「面白そう。それで何が悪いのだ」という、ものでした。それはそれで、きっといいのではないかと思っています。しかし、更にもう少し、他にも無いだろうか、と考えていました。そして、たどり着いた考えは、先に述べた目標である「人類の活動領域の拡大」に関わるものでした。
「いずれ、人類は、その活動領域の場を、月へ、そして火星へと拡げていく。そのとき、当然、我々は、他の生命体と遭遇することになる。そのとき、その生命体をどう理解するのか、は、必然的に重要な課題となるはずだ。地球外生命によって、そこへ進出していこうとする人類は、危害を加えられるのか?或いは、食物として利用出来るのか、、」。これだ、と思いました。「我々にとって、敵となるにしても、利用出来るものとなるにしても、それら地球外(火星)生命体を知ることが大事だ」。これが、私が得たものでした。しかしながら、それでは不十分だと、その後、思うことになります。

その考えは、あるテレビ番組を見ていたとき、日本に来ていた外国人の日本に対して評価のコメントを聞いたときに、ハッ、と浮かびました。その方の日本評は「日本の文化は、自然を対立するものとみず、共にあるものとして見ることが根源にある」というものでした。これを聞いてハッとしたのです。先に考えついた考えは、地球外(火星)生命体を「害するものか」か「利用すべきもの」か、敵対か従属という関係の中で捉えようとしていました。しかし、もっと目指すべき意識があったのです。それこそ、その外国の方が見つけて下さった日本人に古くから根付く「自然とともにある」、つまり「共生」という思想です。地球外(火星)生命体と遭遇したとき、我々が行うべき事は、相手を知り、そして可能ならば「共生」させてもらう、ということなのだと思います。決して、人類を害するものとして駆逐を前提にしたり、常に地球人類の自己保存のためだけに利用するだけなど、短視眼的にみるのではあってならないのだと思うのです。
日本は古来より、他者と共に生きる意識が高い国だと思います。一方で、遺憾ながら、先の大戦では、その考えが独善的に先行しすぎて、返って近隣諸国に大きな苦しみと痛みを与えてしまいました。しかし、私は我が国は、その反省を大いにしてきたと思います。そう信じます。だからこそ、日本は、将来火星生命探査を、人類の代表として主導していくべき国だとも思うのです。もちろん、そのときには日本だけでなく、世界が国家の壁を越えて、共に月へ、そして火星へと向かっているかと思います。そしてそのとき、私達が祖先が受け継いできた日本人としての、人においても自然においても、他者とともに生きる、という感性・意識が、人類の火星探査、火星開発において、とても大事な役割をなすのでは無いか、出来るのでは無いか、と思うのです。

こうしたことを考えて、ますます、日本人こそが、月へ、火星へとむかう人類の中でも、主導的な役割を果たすべき、果たすことができるのでは無いかと思うようになってきました。

やがて、月へ、火星へと向かう中で、地球に国境が無くなる時がくるかもしれません。いや、むしろ、月へ、火星へと向かうからこそ、国境がなくなってくると思います。それこそ、人々が、武器による威嚇や戦いによってではなく、平和を実現していくことにつながるはずです。

UZUME計画は、こうした人類の平和的な発展を進める事につながっていく、つなげていくべき計画であるべきと思っています。

春山 純一